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六覺燈物語 その四「大阪通い」

 

それから、何度も何度も
新幹線に乗って日帰りで六覚燈さんに通うのです。2年以上くらいは続けて通いました。
その後は機会があれば行っていました。

すべての八兵衛スタッフも何度も連れていきました。
言うてもわからんと思ったので連れていきました。
連れていくと、少しづつ分かってくれて
何度か連れていくうちにどんどん良くなって。

人は美味しいものを食べると元気が出ます。
悩みや疲れさえも吹き飛びます。

ああ、美味しい!
また頑張ろう!

そう思えるのです。
それを八兵衛スタッフに経験してほしくて。
みんな本当に幸せそうな顔をするし
考え方さえ変わったといいます。
目の色がちがってくるのでした。

私が伝えたかったこと
それは、
「俺たちはそげな素敵な仕事をしようとぜ。
お客さんを幸せにする仕事ばしようとぜ。
俺たちは楽しませ屋さん!ばい。」
という事です。

さもすれば田舎では
飲食店は下に見られがちです。
彼らは焼き鳥屋で働くことにプライドはおろかそれを恥ずかしいとさえ思っていたふしがあったのです。
それを職業にするなんてあり得ないみたいな。

しかも、
「笑顔?なしてですか?笑わんでもよかでしょうもん」
「お客さんに笑顔やらみせよったらナメられるばい」とか。

その当時そう言ってたバイトは
現「やきとり弥七」の店主宇佐美君と
現「やきとり六三四」の店主森キミヒデ君です。
あまりにも笑顔を拒んだので
セロテープで
目じりを下げ
口角を上げて
笑顔を作ってあげてました。

当時はそんな時代でした。
無理もないと思います。

「ばってん、そうじゃなかったい!
それじゃ、いかんとたい!」
と言いたかったのです。

行くと必ずオヤジさんから色んなお話を聞けました。
皆んなそれが楽しくて
勉強になったし
時には皆んなドキッとしたり
時には皆んな涙したり

でも、ただただ
六覚燈さんの串揚げが食べたかったのかも知れませんね。

ワインと串揚げ。
この世で一番の私のレストラン!
それが六覚燈さんなのです。

その中でも
えんどう豆の串揚げは衝撃的でした。
あの旨味
そしてあの色鮮やかな緑色

ある時
魔が差したのか
バカなのか
オヤジさんに
「作り方教えてくれませんか?」
と言ってしまったのです。

言った瞬間に
「あっ、しもーた!なんば言いよーとかいな!」
と思いました。
オヤジさんの顔色が少し変わったのです。

「レシピねぇ
うわっ、また失言してもうた

次の瞬間
ニコっと笑われて
手のひらをもう片方のこぶしでポンっと叩き
「よし、こうしましょ。
あなたんとこ、弟さんがいはりましたよね?
うちに二週間ほどあずけなはれ。
うちの家に泊まればええし。」

「え?」

 

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