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六本木ストーリー 第一話「オープン」

2008年12月、東京初出店となる焼とりの八兵衛六本木店を開店いたしました。

オープン当時を思い返しまして、自戒として物語風に文章にしたためてみました。

 

  1. 第一話「オープン」
  2. 第二話「誤算」
  3. 第三話「失意の日々」
  4. 第四話「大混乱」
  5. 第五話「奇跡」
  6. 最終話「商店からカンパニーへ」

 


 

2008年当時の八島 東京ミッドタウンにて

 

よし!東京で勝負しよう!
と、専務の掛け声から全てが始まりました。
その当時は、まさに機は熟した!と、全員が思っていました。

前原店→天神店→上人橋通り店→もつ鍋八兵衛
と、すべてが順調であった当時。
私達に怖いものなんてなかった。
一通りの失敗も経験し、全てが完成形で、成功の定義は我が手中にありと。
八兵衛スタッフの誰もが成功を信じて疑わなかったと思います。

当時は、専務がスタッフ1人を連れていき、20坪以下の小さなお店からスタートするはずでした。
専務はかねてより天神店スタイルのお店にこだわっていたからです。15坪でもよかったのです。
場所は、銀座のはずれや築地界隈など2.5等地をさがしていました。
専務は東京で八兵衛を拡張する。
私は福岡でバックアップする。そんな図式でした。

しかし、
2年たっても出店のメドがたたずに焦っていました。

そんな時、某ビールメーカー様の紹介で六本木の地下に物件があるから見てくれないかと話がありました。
38坪!
広すぎる!
家賃高い!
まず、その第一声でした。
しかし、2年あまり東京に何度も何度も行っては断られ、
何十軒と申し込んでは連続で断られ、もう疲れ果てていました。
精神的に限界だったのです。

ここに申し込んでダメならあきらめよう。
もう、東京なんて終わりにしよう。
いや、もう終わりにしたいという気持ちが強かったのかもしれません。

こんないい場所で審査が通るわけない。
でも、やれるならやってみたい。そんな気持ちもあったのは確かです。

専務やスタッフにそう言って申し込んでみたのです。

数日後、まさかのOKでした。
小躍りして喜びました。
やった!勝った!
歴史なんて一晩で変わるもんだ!やれる!
そう信じていました。

六本木でやるなんて夢にも思っていませんでした。
当初のイメージは
銀座か渋谷などの街はずれ
人通りはまばら
けど、夜になるとお店は満席。
そんな感じが理想でしたし、それ以外は考えられませんでした。

いくら自信があったって…
ここは、世界的な街 ROPPONGI

そして、2008.12.12
八兵衛六本木店
Open!

自ら客席下に炭を敷く八島

 

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オープンには同門の兄弟弟子たちが駆けつけてくれました

 

しかし、六本木はまさかのリーマンショックでガラガラのもぬけの殻でした。
開店のお祝いにきた人々が心配してくれました。
「リーマンショック前なら沢山儲かったのにね」
「大変な時にオープンしましたね、でも大丈夫ですよ」
そして、次々と六本木のクラブや名店が閉店していくという恐ろしい光景を目にしました。

 

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しかし、まだ自信はありました。
人が少ない前原の町でのあの17年間に比べたら、絶対ましだろうと。
とにかく、人がいる場所で商売させて頂けたら負けるわけないやん!と。
福岡から八兵衛の精鋭たちを6人ほど連れての戦いです。
これほど自信に満ちたお店はなかったです。

しかし、その目論見は見事にはずれるのです。

 

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